


意地と連帯の対立 – 薩摩の芋づるvs肥後の引き倒し

驚きの”薩摩の芋づる”と”肥後の引き倒し”の意味!地域の伝統と県民性を学ぼう

地域性が生み出す独特の気質や民族性は、様々な格言やことわざに表れています。特に、薩摩(鹿児島)地方と肥後(熊本)地方の人々の性格の違いは、「薩摩の芋づる、肥後の引き倒し」という格言にも現れており、興味深い対照を成しています。本ブログでは、この格言の由来や、両地域の気質の違いがどのように表れているかについて解説します。薩摩人の団結力と肥後人の個人主義、肥後人の頑固さや引き倒しの歴史的事例なども紹介しています。地域の歴史や文化が育んだ人々の性格の違いに着目することで、日本社会の多様性を垣間見ることができるでしょう。
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「薩摩の芋づる、肥後の引き倒し」というこのことわざには、両地域の人々の性質の違いが巧みに表現されています。
薩摩の人々は、お互いに協力して成功者を育てあうという特徴があります。サツマイモがつる状に広がるように、成功した人が周りの人々を引き上げていく姿勢が「薩摩の芋づる」と表現されています。サツマイモは薩摩の特産品でもあり、その作物にたとえられているのは象徴的です。
一方、肥後の人々は、自分より優れた人物が出てこようとすると、それを邪魔しようとする傾向があるとされています。「出る杭は打たれる」の通り、集団の中で頭一つ抜きん出ようとする者を引きずり下ろし、抑え付けてしまう。こうした姿勢が「肥後の引き倒し」と表現されています。
このように、薩摩の人々が協調性を重んじるのに対して、肥後の人々は個人主義的で競争心が強いというコントラストが、このことわざに凝縮されているのです。両地域の人々の気質の違いを端的に表した言葉といえるでしょう。
薩摩と肥後の人々の違いは、さまざまな言葉で表現されています。これらの言葉は、両者の特徴を端的に示すものとなっています。
薩摩の人々は強力なリーダーのもと、集団で行動することが特徴です。一方、肥後の人々は個人主義的で、まとまりにくいとされています。この対照的な様子を表したのが「薩摩の大提灯、肥後の鍬形」という言葉です。
薩摩の人々が一丸となって行動するのに対し、肥後の人々は各自が独立して行動するため、「肥後の腰提灯」とも呼ばれます。
熊本県の人々には強い意地と頑固さがある一方で、鹿児島の薩摩の人々には気の大きさや度量の広さがあるとされ、両者の対比を示す言葉です。
薩摩の人々は成功者を応援し、協力して全体の発展を目指す一方、肥後の人々は逆に成功者を排斥し、引きずり下ろそうとする傾向があるとされています。この対照的な人情を、薩摩のサツマイモの「芋づる」と肥後の「引き倒し」に例えて表現しています。
明治期の教育者・政治家・評論家であった佐々友房は、肥後人の気質を「度量に乏しい」「他を排斥することを喜ぶ」「他人の欠点を直言して言う」と厳しく評しています。
ジャーナリストの平川清風は、両県の県民性の違いを線に例えて表現しました。薩摩の人々は太い一本の線のように見えますが、肥後の人々はその線が複雑に絡み合って太さを成しているといった具合です。つまり、肥後人の性格は複雑かつ聡明であると捉えられています。
このように、薩摩人と肥後人のコントラストを端的に表す言葉が数多く存在します。両者の違いは、まさに「意地は熊本、気は薩摩」と言い表されるのかもしれません。
薩摩出身の人々は、強力なリーダーが現れると、皆が一丸となってそのリーダーに従い、協力し合うことが特徴的です。強いリーダーシップの下で、個人の主張を抑え、全体の団結を重視する傾向にあります。
一方で、肥後出身の人々は個人主義的な傾向が強いと言われています。各々が自分の意見を主張し、独自の行動をとることが多く、全体としての統一性が乏しい傾向にあります。
このように、薩摩人は一致団結して協力する一方で、肥後人は個人主義的であるというコントラストが見られます。この違いは、「意地は熊本、気は薩摩」という言葉にも表れていると言われています。熊本県民の「意地の強さ」は、献血率の高さや明治時代の後半の福岡市への中枢機能移転などに表れているのに対し、気持ちの面では薩摩人の方が強いとされています。
このように、薩摩と肥後の人々の気質の違いは顕著であり、地域性の違いが如実に表れているといえるでしょう。
肥後人の頑固さと意地の強さは、様々な形で現れています。その具体例をみていきましょう。
肥後人の代表的な特徴として、「意地は熊本」という言葉があります。この言葉の背景には、熊本県の歴史的な経緯が隠されています。
このように、肥後人は自分たちの地位や名誉を死守しようと必死になり、強い意地を発揮してきたのです。
肥後人は議論を好みますが、同時に自己主張も強いため、議論がまとまりにくい傾向にあります。
このように、肥後人の頑固さと意地の強さが、建設的な議論を阻害してしまうのが問題点だと言えるでしょう。
肥後人は、他者の成功を嫌う傾向があるとされています。
このような、同胞への嫌悪感や妬みの感情が、肥後人の特徴の一つとなっているのです。
肥後人の気質について、熊本出身の評論家・佐々友房は厳しい評価をしています。
このように、肥後人の狭量さ、排他性、そして反社会的な言動を指摘しています。
肥後人の頑固さや意地の強さは、時に建設的ではない側面を持っているのが事実のようです。しかし、熱血で正義感の強い肥後人の気質には魅力も感じられます。この二面性こそが、肥後人気質の特徴なのかもしれません。
肥後人気質の中で特に顕著に現れているのが、「引き倒し」の傾向です。有能な人材が引き倒されて潰されてしまい、大成する者がなかなか出ない、というのが肥後の特徴とされています。
その代表的な事例が、江戸時代末期(幕末)の肥後熊本藩士・横井小楠です。小楠は、坂本龍馬や西郷隆盛が教えを請うほどの先進的な思想を持った逸材でした。しかし、小楠自身この肥後の気質のために熊本において十分に認められられず、結局福井藩の松平春嶽の招聘により政治顧問に抜擢されることになりました。小楠の類まれな才能は、同郷の肥後人によって引き倒されてしまったのです。
また、明治初期の熊本県の教育者であり政治家でもあった佐々友房も、肥後人の「引き倒し」の傾向を指摘しています。佐々は肥後人を「度量に乏しい」「他を排斥することを喜ぶ」「他人の欠点を直言して言う」と酷評しています。まさに、有能な人物が周囲から邪魔され、引き倒されていく様子が表れていると言えるでしょう。
さらに、毎日新聞の記者であった平川清風は、両県の県民性を「線」に喩えて表現しています。薩摩人は太い一本の線のようですが、肥後人は何本もの線が複雑に絡み合って太さを形成しており、その複雑さゆえに「引き倒し」の傾向が強いと述べています。
このように、肥後人気質の中核をなす「引き倒し」の傾向は、歴史的にも顕著な特徴として指摘されており、肥後地方における人材育成や発展を阻害する大きな要因となってきたと言えるでしょう。
薩摩と肥後の地域性の違いは、古くから言葉や故事に表されてきました。薩摩人は協調性や度量の広さを持ち、一致団結して成功者を支援する一方、肥後人は個人主義的で頑固な性格が強く、同郷の人材を引きずり下ろす傾向にあります。このコントラストは、両地域の発展や人材育成に影響を与えてきたと言えるでしょう。しかしながら、肥後人の熱血さや正義感といった魅力的な一面もあり、地域性の違いこそが双方の特徴を際立たせているのかもしれません。
薩摩の人々は協調性があり、お互いに成功者を支え合う一方、肥後の人々は個人主義的で、他人の成功を妬むという両地域の気質の違いが表されている。このような対照的な性質がこのことわざにまとめられているのである。
「薩摩の大提灯、肥後の鍬形」「肥後の腰提灯」「意地は熊本、気は薩摩」など、両者の対照的な特徴を端的に示す言葉が数多く存在する。これらは薩摩人の一致団結と肥後人の個人主義の差異を表している。
薩摩人は強力なリーダーの下で協力し合って成功を目指すのに対し、肥後人は個人主義的で意地の強さが特徴的である。この対照性は「意地は熊本、気は薩摩」と表現されている。
肥後人は22年間にわたり全国トップの献血率を維持するなど、自分たちの地位や名誉を死守しようとする強い意地を見せてきた。また、議論が紛糾したり、同胞の成功を妬むといった問題行動も指摘されている。